『音楽というのは、僕自身が真っ当に生き抜いていくための道具なんだ』

【イントロダクション】
今から25年前の1980年3月21日、1曲のポップソングが産み落とされた。
タイトルは『アンジェリーナ』。都市生活者の情景を新鮮な感性で描いたその楽曲は、同世代を中心に強い共感と支持を獲得する。
そして、この曲をきっかけに日本のミュージックシーンはひとつ新たな地平へと歩み出していった。
それはグローバルなレベルに届くポップミュージックの感性、そして高度に産業化、情報化していく都市の生々しいリアリティを描き出すための新しい言葉の獲得を意味していた。
革命的なその楽曲を生み出したのは、当時若干23歳の佐野元春という新しい才能だった。
そしてあれから25年後の2005年。
アルバム『THE SUN』を引っさげ、数ヶ月に及ぶコンサートツアー『THE SUN TOUR 04-05』を締め括った佐野元春は、3月末には既にこのツアーの様子を映像に収めた新しいライブDVDの制作に携わっていた。
変わらぬスピリット、そして思慮深さと理知、そして一段と言葉とビートに磨きをかけたアルバム『THE SUN』の14の楽曲(ストーリー)は、またもうひとつ新しいロックミュージックの可能性を僕らに示してくれた。
4月都内某所、次の構想への準備期間にある佐野元春に会うことが出来た。
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『コトの本質を伝えようとする姿勢は、10代のときも20代のときも、そして40代の今も何も変わりはしない。』
鷲尾(W): 現時点での最新アルバム『THE SUN』が今の佐野さんの活動を読み解く手掛かりなわけですが、まずはやはりこのアルバムについて感じたことをお伝えしたいと思います。
僕はずっと佐野さんの音楽を聴いてきましたが、今回の『THE SUN』というアルバムにはこれまでにないタフネスというものを強く感じました。
それは音のつくりというよりも、むしろ精神的な強さ、生きるということへの強い肯定に裏付けられた音楽であったからではないか、と思います。
その意味でも『THE SUN』は非常に完成度の高いロックミュージックであるという気がしています。
佐野(S): 『THE SUN』というアルバムは、今年でもう9年間活動をともにしている仲間達、The Hobo King Bandとともにロードに出ながら、レコーディングして、またロードに出て、という風に外と内とを往復しながら創り上げてきたアルバムです。
振り返ってみると、そのような過程で出てくるアルバムというのは、僕にとってとても自然で、そして確かな意味のある作品となる場合が多い。そしてこの『THE SUN』というアルバムについては特にその思いを強く感じていました。
ポップミュージックというのは往々にして商業のラインに乗ってレコードやライブがアウトプットされていく。その時にはちょっとしたコツのようなものがあって、例えば「多くの人が喜ぶ」ということを想定して商品化する、「切なさ」あるいは「悲しみ」を商品化しようという風に誰かが計算高くコトを運ぼうとするのが見受けられます。
またそれを上手くやり遂げて成功しているバンドやタレントも居ると思う。
10年、20年前には、僕もそういうことが面白くてやっていたことがある。でも今は音楽というのは自分にとって現実そのものであり、僕自身が真っ当に生き抜いていくための道具なんだと感じている。
僕が10代、20代の時に創った音楽と比べると多少気取りという面では欠けているかもしれないけれど、その代わりに力強さや思慮深さがそこにはセットされていると自分では思いたい。
『THE SUN』というアルバムはその意味でとても現実的な視点で綴られた「14の物語」ということが言えると思います。
W: 先ほど僕が言ったタフネスということ、そして「今、確かに僕はロックミュージックを聴いているんだ」という実感はおそらくそこから来ているんだなと、佐野さんの言葉を聴いて改めて感じています。
また、今の時代におけるポップミュージックの意義というものを考えるきっかけがこの『THE SUN』というアルバムの中にはあるようにも思います。もう少しその理由を細かく見ていくと、ひとつには「言葉」の強さがある。
佐野さんが20代の時に創られていた楽曲と比べると、言葉が肉体化しているということを感じます。実際に『THE SUN』を創る際、そして言葉を産み出す際に、佐野さんの中で何か変化があったというようなことはあるのでしょうか。
S: 言葉というのは、表面から見ると、ちょうど洋服と同じように、その時のムードや状況に応じて幾らでも違ったように見えるんですね。
僕は言葉や音楽の力を借りて表現をしていくわけなんだけど、どんな洋服を着ようか、どんな態度で人に接しようかということはアルバムごとに毎回違うんですね。
今回の『THE SUN』というアルバムに限って言えば、これまでのようにジーンズに革ジャン、あるいは流行のスーツではなく、僕と同じ時代に生きている等身大の人々と同じ服を僕も着てみたといえる。そこが違うといえば違うかもしれない。
しかし、コトの本質を伝えようとする姿勢は、10代の時も20代の時も、そして40代の今も何も変わりはない。
きっと次の作品ではおそらく『THE SUN』とは違う新しい服を着ることになるでしょうね。
『THE SUN』は、これはこれで完結しましたので、次のストーリーを描くことに心置きなく進めると感じています。その時にはまた革ジャンに戻るかもしれないね。
W: 言葉を書くとき、例えば、通りを眺めている視点、仲間と歩いているような視点、手の平を見つめるような視点、様々な距離感で物事を眺め言葉を産み出していくということがあるわけですが、その点から見ると、『THE SUN』というのはとてもインティメットな距離感を感じます。
S: 確かにそうだと思います。ただ、このインティメットな距離感についていえば、これは『THE SUN』に限ったことではなく、もう既に60年代、70年代の日本のアーティスト達が書いてきた距離感でもあると思います。
しかし『THE SUN』がありそうでなかった、という評価を得ているのは、それがロックンロールのフォーマットで描かれているという点にあると僕は思う。
フォークソングや歌謡曲、あるいはポップスのフォーマットで書かれてきたことはあるかもしれないけど、ロックンロールのフォーマットでこうした物語を書いたものを、僕自身これまでに他に聴いたことがない。
W: 確かに。日本にはなかったような気がしますね。
S: 勿論、欧米には数々の優れたソングライターやアーティスト達がこうしたとても親密な視点でロックンロールを創ってきたし、僕自身も彼らに影響を受けてきたところもあります。
W: 現在の社会では、タテよりもヨコの関係を重視する傾向にあると思います。それは世代間の断絶や不信といったものから、良い意味での仲間意識、と様々な形で現れてきます。 佐野さんの音楽は同じ時代を生きる人間として今この瞬間を楽しむことが出来ると同時に、上の世代から引き継がれてきたロックンロールやポップミュージックの伝統を学ぶことが出来る、僕達が何を学び、何を引き継いでいけばいいのか、そういうことにも気付かせてくれます。
S: 確かにカルチャーを継承していくのはある部分ではとても大切なことです。しかし、表現スタイルとしては必ずしもそれが正しいかどうかはまた別の問題だと思う。
僕がかって会ったアレン・ギンズバーグ氏は「過去のアイコンにはすがるな」と僕に言った。
僕はまさにその通りだと思う。
そして自分のこれまでのアルバム、これから新しくつくるアルバムをこれまでの歴史の文脈の中で予め捉えていこうとすると、ともするとそれは形式的なものになってしまう可能性もある。そのようなことには用心深くなければならないと僕は思っている。
例えば、過去に優れた審美眼を持ったアーティストが居て、そしてその子孫の芸術家達が師の作品を見て素晴らしいと言った。あくまでもその子孫の主観でもって過去のアーティストの素晴らしさが再発見されたに過ぎず、それが多くの人にとっての価値なのか、ということについてはいささか疑問が残る。
それは、精神、スピリットというのは主観によるところが多く、多くの人にとっての共通の認識には至らない場合があるためだろう。
しかし、今の時代においては、全く過去の文脈から外れたものが創れるかというと、それもやはり難しいということも事実だ。
今では多くの人たちが歴史というものに気を払わなくなった。
「歴史?そんなもん関係ないや」って言う感じ。
これは今の在り様だし、僕はそれを良い悪いというよりも、そういうものなんだといって受け入れるようにしている。
W: 『THE SUN』の中のタフネス。それはそこに僕がとても地に足着いた「希望」を感じるからなのだと思っています。
しかし「希望」をストーリーテリングしていくことはとても難しい。ともすれば浮ついたものになってしまう。とても慎重に言葉を紡ぎださなくてはならない気がします。
先日お会いした作家の池澤夏樹さんは、以前その著書『楽しい終末』で現代社会が抱えている様々な問題をルポタージュし、そのあまりの重症ぶりに、その後小説を書き進めることが難しくなった時があったと僕に話してくれました。そして、「いいことなんかないよ。でもね、…」というところから書き始めることが「希望」を描くことだ、と。
佐野さんの場合、「希望」を描いていく時にどんな影響があったのか、またどんな格闘があったのでしょうか。
S: 90年代に入ってからの家族の死が僕の創作に何らかの影響を与えていることは確かです。でもそれは暗い話でも何でもなくて、「Live」そして「生」とはそのもの何なのだろうか、という問いをより強く僕が問い続けるきっかけになったということなんだと思います。
それはデヴューしたての無邪気な時と比べると、90年代以降、少し大人になってからの僕の中に常にある大きなテーマになっていった。
それから先ほど、昨今では多くの人が歴史に気を払わなくなっているということを言いましたが、逆にいうと歴史から分断された、こぼれた人たちが、僕流の詩的な表現でいうと、まるで「ミルクジャム」のように丘の向こうから流れ出しているように僕には見えている。
それは良いことか悪いことかという話ではなく、僕の眼の前で展開されている現実の風景です。そのことが『THE SUN』というアルバムの中に反映されていると思う。
ただそれは暗い表現を伴って出ていくのではなく、光に照らされている側から見た表現として描こうとしています。ちょうど半分は影の部分で半分が光に照らされていても、地球はひとつの地球であるように。
特にメロディを伴うポップミュージックの場合はそうしたアプローチが大切だと思う。
逆に、スポークン・ワーズ(※)のようなメロディやリズムの制約から離れた自由なフォームの音楽作品を創る場合には、もしかすると影の部分の表現をしていることもある。
そうして、どうにかして僕は表現者としてのバランスをとるようにしているんだと思う。
W: 『恵みの雨』という楽曲の中に、「我が道を行くこの愛すべき人生、この毎日の人生」という言葉があり、このフレーズが僕の中に強く印象に残っています。1986年のアルバム『カフェボヘミア』の中に収録されていた『インディヴィジュアリスト』という曲の中で唄われていた「何も変わらないものは何も変えられない」という言葉も個人主義としての強い意思表明でしたが、同じ個人として生き抜いていくという姿勢は共通していても、その視点や質に少し変化があったように感じます。
S: まさにポップミュージックというのは、10代や20代のためだけの音楽ではないし、泣いたり、切ない気持ちになるための音楽ではない。いつも僕らの傍にいる友達のようなものだと僕は思っている。僕が属している世代から外れて、下の世代におもねて曲を書いたとしても、いい曲は書けるはずはないと思っている。
一言で言えば自分が属している世代に対して正直でいたいという気持ちが僕の中にはあるんです。その中から、逆に10代、20代にとってもハッと思うようないい曲が生まれてくるということを僕は信じている。
あとはティンカーベルが金の粉をさっと振りかけてくれるのを待っているだけだね。
W: 『THE SUN』に続く新しいアルバムの構想というのは現時点であるのでしょうか。
S: 僕はたいていニューアルバムを創ろうというときに、コンセプトや全体像が見えていて創り始めるわけじゃない。今日作った曲がいい、明日作った曲がいい。それが十数曲出来たら、仲間を呼んで一緒に楽しく演奏する。それをとりあえずのメディアに収め、後は仲間を連れて全国のコンサート会場に演奏に行く。
そしてみんなの前で僕の身体を使って僕がつくったものを演奏し、ちょっと拍手を貰っていい気分になってうちに帰ってくる、という感じなんだ。
でもそれが表現者の自分としてはとてもよく合っている。
レコードというのはあくまでも副産物でしかない。いいレコードを創ったところで満足することは出来ない。それを自分の肉体を使って演奏し披露することで、ようやく自分の中で満足することが出来るんだ。
だからそれを続けていくこと。
そんな中から、新しい曲も、アルバムも自然に出来てくると思っている。
W: 身体的な感覚、肉体性に裏付けられた言葉はこれから益々重要になってくる、そんな風に僕も感じています。
S: 僕がデヴューした80年代においては、高度な資本主義が行き着いて不気味な感じではあった。ある人から見たら非常に経済的に潤って嬉しい状況だったのかもしれないけれども、文化的に見たらとても奇妙な様相だった。
その中では「言葉なんて関係ないんだよ、フィーリングだよ、感性だよ」っていう言葉が大流行していた。でも僕はずっとそうではないと思っていた。
僕は自分のことを、「言葉×音楽」表現者だと思っている。
確かに文学的なるものは好きだったけれども、必ずしも文学そのものはそんなに好きではなかったし、活字をずっと読んでいるということよりも、ライブなものの方が好きだった。長編よりも短編の方が好きだしね。なにかキャッチコピーを考えてそこにメロディがのった方が伝わるんじゃないかなって思っている。
だから、『THE SUN』のようなポップミュージックも楽しく作るんだけれども、スポークン・ワーズというもっと制約が無くて自由な「言葉」の音楽化という活動も並行して行っているのが、「言葉×音楽」表現者としての僕の本質なのかな、って今自分でも思い始めている。これがどこに行き着くのかということは僕自身もとても楽しみなんだ。
※「スポークン・ワーズ」:
スポークン・ワーズとは、一言で言うと、あらかじめ「自分の声で語る」ことを前提とした詩的なパフォーマンス・アートのフォーム。これまでの詩、もしくはラップミュージックのように韻を踏むこと等の形式的な束縛からは全く離れた自由度の高い表現フォームだ。佐野元春は、80年代から意欲的にこのスポークン・ワーズを自身の表現活動として展開しており、既に数枚のCDとしてそのパフォーマンスをリリースしている。
(インタヴュー: 2005年4月7日/東京、 掲載:SONY ONLINE MAGAZINE “GRAMI”)
石垣昭子 AKIKO ISHIGAKI
セヴァン・カリス=スズキ SEVERN CULLIS-SUZUKI
ジャック・ジョンソン JACK JOHNSON
池澤夏樹 NATSUKI IKEZAWA
シム レッドモンド バンド SIM REDMOND BAND
木下ときわ TOKIWA KINOSHITA
ダニー・ライアン DANNY LYON
バルタバス BARTABAS
金城 男 DAN KINJYO
長島一由 KAZUYOSHI NAGASHIMA
寺本一生 ISSEI TERAMOTO
DJ KRUSH
清水勝広 KATSUHIRO SHIMIZU
ジャック・ジョンソン JACK JOHNSON
ドノヴァン・フランケンレイター DONAVON FRANKENREITER
