ガス・ヴァン・サント監督の『MILK』を観る。
同性愛者であることをカミングアウトした上で、米国史上初めて公職に就いた政治家・ハーヴェイ・ミルクの生涯を描いた作品。ガス・ヴァン・サント監督作品では『My Private Own Idaho』や、『Last Days』『Elephant』といったタイプの作品の方がどちらかというと好きなのだが、それに対して『MILK』は極めてストレートなストーリーテリング型の作品だった。しかし、反社会的だという烙印をおされたオルタナティブな生き方を社会的なムーブメントへと辛抱強く牽引していったハーヴェイ・ミルクの生涯にはやはり強く心を動かされないわけにはいかなかった。ハーヴェイ・ミルクの人生そのものが強烈な物語なので、その意味でとても丁寧にシンパシーを持ってストーリーテリングする今回のガス・ヴァン・サント監督のアプローチはその意味ではやっぱり正しいのだと思う。ここまでノーギミックな作品も最近は少ないのだし。そして何よりショーン・ペンの演技が本当に素晴らしく、この作品を映画館で観て良かったと思った。
ハーヴェイ・ミルクを殺害する市会議員の同僚ダン・ホワイトは、白人で、クリスチャンの洗礼を受け、元消防士で、家庭を大切にする良き父親という理想的アメリカ人像を象徴するような人間として振る舞っていた人物だったが、結果としてはとても簡単に衝動的な殺人者となってしまう。
ハーヴェイ・ミルクがその当時反社会的でマイノリティーであった立場から極めてポジティブなムーブメントを牽引し、ゲイに限らず、少数民族、あるいは社会的弱者まで、様々な立場にある人々の人権を擁護するより広範囲の社会運動が拡大する糸口をつくった一人であったのに対して、表向き「理想的アメリカ人」像を志向していたダン・ホワイトが、最終的には殺人という極めてネガティブな方向へと走らざるを得なかったというその対比。ダン・ホワイトはとても怒りっぽい人柄だった。非常に抑圧されているという印象。マジョリティの一員で、社会的には成功者で、理想的な人生や家庭や氏素性で、誇りも高い人間が、だ。
ハーヴェイ・ミルクは彼を一目見て「俺と同じだ」と直感する。一説にはダン・ホワイトはクローゼット・ゲイ(ゲイであることを隠している人)だという説もあるそうだし、映画の中の台詞もそのことを単にほのめかした台詞でしかなかったのかもしれない。しかしそこには、ハーヴェイ・ミルクがマイノリティだからこその感受性で見抜いた本質があったように思う。強い立場に立とうとするものは弱い立場の視点は見えない。見えているように思っているとしても、それは単に哀れみを勘違いしているだけだ。ダン・ホワイトには見えなくて、ハーヴェイ・ミルクには見えたもの。何が全うで、何が幸福なのか...。ハーヴェイ・ミルクを演じたショーン・ペンも、そして実在のハーヴェイ・ミルク本人も、とてもチャーミングな人物だったと思う。チャーミングな人の方がやっぱりいいな。
1984年に製作されたロブ・エプスタイン監督のドキュメンタリー映画『The Times of Harvey Milk』。これも当時アカデミー賞を撮った作品。こちらも近々DVDを借りて来て観たいと思う。

(映画を観る前に小田原までクルマを飛ばす。早川の河原で撮影中。)
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